だるま

今朝目覚めた時になぜか「だるま」を感じました。

間も無く迎える新年、

縁起物として神社に並べられますよね。

 

だるまとは仏教一派の禅宗開祖、達磨大師という僧侶が

壁に向かって9年間座禅を行ったために

手足が腐ってしまったということから

その形として手足のない状態で作られるようになった物とされています。

達磨大師の座禅姿が「だるま」です。

 

日本では縁起物とされ、知らない人はいないでしょう。

しかし、考えてみると手もなく足もなく、そして目も耳もありません。

この「だるま」が縁起物です。

なぜでしょう???

 

 

本来私達はこの「だるま」なのだと思います。

手もなく足もなく、目も耳もない存在です。

これらがあることが当たり前ではないのです。

無いことが本来の姿で、

無いことが当たり前の姿なのです。

 

あることが当たり前ではない手や足、目や耳はなぜあるのでしょう。

なぜ授かったのでしょう。

どれも2つです。。。

 

私なりに感じてみました。

1つは求めるために1つは与えるためにあるのではないかと、、、

(与えるといっても与えるのもスピリットたちです)

 

求め、与えるために当たり前ではなく授かったもの、、、

大いなる存在との通信道具なのでしょうか、、、。

 

「祈願が成就するように」と求め、だるまに片目を書く、

与えられればもう片方の目を書く。

成就した者はそれをまた与えるために与えられるわけです。

 

いずれにせよ、「だるま」とは本来の姿を思い出させてくれる

そんな物、なのかもしれません。

 

ちなみに「縁起」とは仏教用語で、

自己や仏を含む一切の存在は縁起によって成立しており、

したがってそれ自身の本性、本質または実体といったものは存在せず、

「空」であると説かれています。

 

All My Relations,

YUKO