約18日間の旅から戻りました。ドライブをしながら米国内の各地を直感に任せながら移動する一連の旅でした。この期間の走行距離数はトータル4,500キロ!この国は本当に大きいと新ためて感じました。

旅の中、様々な人との出会いがありました。予期せぬ出来事も起こります。

私も含めて人はなぜ旅に出るのだろうか?そして旅の直後というのはなぜこんなにエネルギッシュでいられるのだろか、、、この事について書きたいと思います。

シンプルに1事でいうならば「感情が動くから」なんですね。無意識で我々人間はその事を知っているのでしょう。そして感情を循環させる事が命の洗濯に結びつくということも...。

旅では私も自分自身の感情がフル稼動しました。

例えば、旅先でルールを守れない人(湧き水に足を入れる、顔を洗う、ゴミを持ち帰らない等)に対して猛烈に怒りを感じました。サインがあるにも関わらず守れない人々を見た時は特に直接言ってやろうかと思いながらも自分自身から湧き上がる怒りをそのまま感じながらその場を見つめていました。

旅先で道に迷った時、お店のレストランでのオーダーに困り質問した時など、親切に笑顔で教えてくれた何人もの人々「有難う」という感情が素直に湧き上がりました。

初めて口にするお料理の美味しさとおもてなしから喜びが湧き上がりで表現することばが見つかりませんでした。

目の前に差し迫る大自然の迫力、もし今この活火山が噴火したら、、、また運転しながら眠くなり事故を起こしてしまったらという様々な恐怖を感じました。

道なき道を歩きながらの登山ではこの方向で大丈夫だろうか?引き返すべきだろうか?という不安も湧き上がりました。

久しぶの友人たちとハグをし合った時、懐かしさから涙が出たり、積もり積もった話で心から大笑いしたり、

ミュージーアムに出かけた時には過去の残虐な事件を目の当たりにし、悲しみ憤りが爆発したり、

野に咲く小さな花々を見ながら愛おしさを感じ守りたいと願ったり、

まだまだ書ききれない程の感情を感じました。これらの様々な感情は単調な日常生活、なんら変化のない日々の中ではなかなか感じられません。そしてひとりで時間を過ごしていても同じです。

大自然に触れながら、見知らぬ土地を訪れながら人は「命の洗濯」というような表現します。この意味がようやく腑に落ちました。日頃使っていない感情を回し、流すため、湧き水の源泉のように湧き上がる感情を感じるため、その循環作用こそが命の洗濯なんですね。感情が動く時、動かしてくれた人々へ、大自然へ、食べ物たちへ「命を洗濯してくれて有難う」と感謝をしなければならない(したくなる)のだと思います。

感情はやはりギフトです!

そのギフトを使い忘れている人々、使い方がわからない人々、トラウマになっている人々、封印してしまった人々へ、

今回大自然と高次なる存在から預かった感情のアクティベーション「Ra Mu」をスタートします。年齢や性別を問わず、すべての皆さんへその素晴らしい命の洗濯としてお届けします。詳しくはこちらからどうぞ!

ブッダやキリスト、様々な卓越した存在というのは決して感情を感じなかった、感じないようにしていたわけではありません。この世への執着、怒り、不安、憤り、、、等、湧き水のように自身から湧き上がる感情をより感じた人々ではないでしょうか。感情を感じないようにするのはさらさらとした循環を滞らせるようなものです。

感情を循環させましょう。

怒り、悲しみ、喜び、楽しみ、1つ1つの感情の小川はやがて大海へとつながります。大海へと到達した時に感情の境目がなくどの感情も「ただある」になるのだと思います。

All My Relations,

YUKO