自身の目(芽)

クラスを開催した際、よく口にする言葉

「魚の釣り方を教えましょう」。

食べ物に困っているからという人に毎回毎回魚を分け与えるのではなく、

魚の釣り方を教えてあげるという事です。

常に魚を分け与えているようでは、困った際には毎回もらいに行かなければなりません。

つまり「依存」のような状態を「自立」へと導くために「釣り方を教える」という事です。

 

クラスを通し「魚の釣り方」を得て、それぞれが自分自身で釣りにいくわけです。

これが自分自身のヒーラーとは自分自身であるという事、

そして自分自身の人生を自らが創造するという事に繋がります。

 

さて、釣り方を教わった人はさすがに「魚を下さい」とまでは言いませんが、

「釣り方をまた教えて下さい」という人がいます。

実際に釣りに行き直面した問題に対し、「新たな釣り方」であればまだわかります。

しかし、実際に釣ってもいないのに、

「あの人の釣り方が心配だ」

「もしやってみて釣れなかったらどうしようか」

「魚ではなく別な人から肉をもらおうか」

「一緒に釣りに行く人がいてくれたらやってみよう」

「釣りに行く人に問題があるから釣れない」

等と無意識で上手くスルーする方がいます。

これを自分自身を見つめる事から逃げている状態と仮に表現しておきます。

 

自分自身を見つめて下さい。

「魚の釣り方を本当に知っていますか?」

わからないのなら、「まだわからない」と質問しましょう。

 

「自らが魚を釣ることで自立していきたいですか?」

自立をしたくないのならしたくないのだと言いましょう。

 

「魚を一人で釣りに行くのが不安だ。でもやってみたい。」

であればそのように言いましょう。

 

「あの人の釣り方が心配だ」

目の前の「あの人」を通して自分の何を感じているのでしょう。

 

海や川には行ったけれでも実際には釣っていないのに

釣った気分に自分自身を思い込ませることももう止めましょう。

(↑ 気づきを得ただけで充分だと思い込んでいる状態 )

 

人の目とか、神の目ではなく自身の目(芽)をしっかり育てて下さい。

 

All My Relations,

YUKO